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​横地治男杯
柔道の部
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大会の目的

隠岐少年武道大会は、武道を通して子供たちに経験と自信を積ませ、地域内外の道場と交流することにより、離島隠岐を舞台とした双方の人間形成を目的としています。また本町の出身の幕末期の偉人「中沼了三」先生と本町名誉町民である「横地治男」氏の歴史的かつ日本及び世界的な武道振興並びに青少年教育への功績を大会開催によって顕彰することで広く周知し、隠岐の島町が生んだ偉人を称え、誇りを持てる地域環境づくりも目的としています。

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柔道大会について

​■柔道の部 横地治男杯

中沼了三杯・横地治男杯

主  催:

隠岐少年武道大会実行委員会

隠岐の島町・隠岐の島町教育委員会

後  援:

Private Parties
横地治男先生について
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隠岐の島町名誉町民

横地 治男

略歴

1912年3月10日生まれ 現隠岐の島町平地区出身

 

昭和25年に塗料総合商社「ダイニッカ㈱」を設立。昭和45年には、故郷である隠岐の島町にて「隠岐プラザホテル」を開業。昭和47年に復活を遂げた「第一回隠岐古典相撲」の旗振り役を担い、以降「牛突き」などの伝統芸能の発展や観光など隠岐の島町の振興に深く寄与した。

 

昭和50年には、東京オリンピック柔道競技においての、「神永昭夫とアントン・ヘーシンク」の試合の悔しさを発端にした将来の柔道界への憂いから、政界・経済界や各分野の著名人の方々等各界に声掛けし、東京都世田谷区に「日本柔道育英学会」を設立し、全寮制の柔道の私塾「講道学舎」を開設。「講道学舎」には、全国各地から中学生から高校生までの将来性豊かな子供たちが集まり、そして氏は、365日塾生とともに住み込んで、その指導に当たった。

 塾生たちは、氏の口癖でもあった「日本一の桃太郎」になるべく、文武両道・心技体を講道学舎で学び、弦巻中学・世田谷学園高校に通いながら当時の柔道競技における数ある全国大会の優勝を総なめにすることもしばしばあった。

 

講道学舎の卒業生には、バルセロナオリンピック金メダリストの古賀稔彦氏・吉田秀彦氏、シドニーオリンピック金メダリストの滝本誠氏・リオデジャネイロオリンピック金メダリストの大野将平氏など4名のオリンピック金メダリストをはじめ、オリンピック・世界選手権また国内外の大会でも、数多くのメダリストや有名選手を輩出した。

 

昭和40年に紺綬褒章

平成7年に勲四等瑞宝章受章

平成19年3月28日逝去

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■大会一覧

第二回大会(中止となりました)

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